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会長メッセージ

臨床心理士、そしてコミュニティ・ワーカー

兵庫県臨床心理士会 会長  羽下 大信

この8、9、10月と、断続的にかなりの時間を割いてきた案件に、学校事案がある。いじめや自死、本人の所在確認ができない長期の不登校などの重大事態、緊急を有する事態に対処するために、子どもたちや保護者、教員を対象にした聞き取りをしてくれる専門家、案件対応の臨時学内委員会の委員、あるいは第三者委員会の委員、また、社会的孤立(ひきこもり)の人への訪問相談員になってもらえる候補者を臨床心理士からと、あちこちからの依頼に対応する作業である。「臨床心理士」との指定を受けるのは、われわれのこれまでの活動への評価を頂いていることの結果だろうと、有り難く思っている。

こうした依頼は、たいていの場合、決定を急いでいて、さらには、マッチングをする際には依頼方と心理士の候補者の双方に存在する諸条件をクリアする必要がある。このために、「その人」を心理士会の理事に打診したり、また、人づてに探したり、あるいは自分で独自に探す中で、関係の人と会い、電話連絡をし、メールをやり取りする。そして条件がすべて合致するまで、マッチングを繰り返す。

候補者が決定していく中、依頼案件が10指を超える頃になると、夜な夜な悪夢を見るようになった。見通しも終わりさえも見えないことが最大の圧力だったが、もう、カードがなくなるのでは、との手づまり感も膨らみ、加えて活動を始めた心理士の作業は捗っているのだろうかなど、自分の手を離れたことにまで気になり始めていた。それらが団体御一行様でやってきたことが刺激となり、たびたびの夢の訪問があったのだろう。

ようやく依頼案件終了。われわれ心理士が時代の要請に応えきれるかどうか、賽は投げられた、との感慨があった。そして、気がついたことがある。今回活動してくれている心理士の場合、その最中も、また、終了後も、そのアクションをフォローするシステムがないこと。また、このたび要請のあった役割は、われわれ心理士がルティーンにしている心理アセスメント・テスト・心理療法とは違う、いわば、対人援助の応用問題、つまりアクションも仕事環境も不慣れな側面を強く持つ、という二つのことである。

もちろん心理士として仕事をしている限り、職場内カンファや同僚との打ち合わせ、業務命令の場など、オフィシャルな場で求められる社会的役割を取った経験がない、という人はいないだろう。

一方、ここでの役割の特徴は、@アウトリーチ(自分のフィールドではない)、A未知の、しかも一度にたくさんの(大部分が健康度の高い)人と会ってリスニング(いわゆる、聞き取り)をする、B「眼前の問題解決に貢献する」という明瞭かつ多元的なミッションを短期にこなす、C異業種間での伝達や会議を重ねる(他者と組む)、D報告書を執筆する(公開を前提に作成)、などである。こうした活動は、僕的に言い換えると、テーマ限定という意味で、心理士のコミュニティ活動ということになる。これは、オールラウンド・プレイヤー的アクションと言えるだろう。もちろん、この全部を高レベルでこなせる人は、たとえいたとしても例外で、大抵の場合は、このセットのうちのどこかが得意で、あとはそれなり、というのが通常と思われる。それにしても、これらの作業は、そのどれもがこちらの基礎と応用のどちらの力も問われるものである。また、これらは今まで、臨床のベテランで、会議の場面やその運営にも慣れた人たちが、個人的経験を基にやってきた面が強い。

しかし、今回感じたのは、こうしたベテランの経験則でやっていくには@人が足りないし、このままではA経験の移転ができない、ということである。今回はなんとか充当できたが、B充当は今後、難しくなるので、どれもが限界に来ている。今回の僕のアップアップは、そのことを明らかにしたと言える。

じつは、この点については、個人的には秘かに危惧を持ってきたところだった。つまり、現在の臨床心理士養成カリキュラムは、時代の潜在的ニーズとズレ始めて、もうだいぶ時間が経った、というのが僕のかねてよりの認識である。個人の心の内面に生み出されてきた葛藤に対して、1対1で継続的にかかわる心理療法的援助。対人援助では、この訓練は必須であり、アクションとしても重要であることに変わりはない。が、それと同じくらい必要性を増して来ているのが、コミュニティ・ワーカーとしての訓練である。コミュニティ活動のスタンスは、個人が持つ社会的不公正の条件を変え、いわば公正さを目指すものである。

たとえば、DV加害男性になったことでもたらされる社会的ハンディとはどんなものか、から考え、アクションをする、という風に。上に列挙したメニューは、そのためのものでもある。そして、それらを時代のニーズとマッチさせ、有効な活動にしていくには、訓練が必要である。そう、考えてきた。きっかけの一つは阪神大震災での活動だった。

この件を、個人開業で、外に対してもアクティヴにやっている女性の心理士(養成校の教員)に話し、今のカリキュラムに組み込めないかな、と言ったところ、「それ、無理ね。別のカリキュラムを作らなきゃ」と、あっさり言われてしまった。その通りだろう。

現行の公認心理士のカリキュラムと法律は、ほぼ医療モードに特化/矮小化していると、僕には見える。そして日本の医療は、と見ると、技術は新しくなっても、医師を頂点としたそのピラミッドは、システムとしてはむしろ強化に向かってどんどん進行している。チーム医療も消えてしまった。そして、半世紀以上前の古色蒼然たるパラダイムは残ったまま。教育や医療も例外ではない戦後のシステムには、それ自体を土台から変えるシステムが組み込まれていない。だから、そこは誰も変えられない。

この古い医療モードと先述のカリキュラム・法とは、古さという点で同期しているようだ。では、これは果たして、われわれ心理士にとって有用なものなのだろうか。少なくとも、先ほどのコミュニティ・ワーカーのアイデアは、公認心理師モードとは接合し得ないか、きわめて困難である。今、われわれが日常着ている服の下に(女子はエビ茶とかの)袴を着けることはできないように。

となると、現行の心理士を対象に、コミュニティ・ワーカーとして、訓練の上積みするカリキュラムを研修セットとして用意すればよい。各心理士会の共同運営なら、このセットの提供は困難ではない。幸いにして、たとえば兵庫県の場合、災害支援に関しては相当の蓄積もある。兵庫に限らず全国を広く見渡し、しかも、心理士という枠を外して、そのつもりで見渡せば、コミュニティ・サポートに当たる活動をしている人は、決して少なくはない。

また、この訓練の先に無理なく描けるのは、自然災害/緊急/被害・加害者の支援、(スクール・カウンセラーではない)スクールサイコロジスト、老人介護やターミナル・ケア、子育て支援、社会的養護の中の心理士などの、「今」にチューニングした、新しい援助の形である。

そこでのミッションは、社会的公平性へのリセット、安全・安心の担保、応答を創り出すこと、関係としての(心の)発達への援助、である。ここでは、心身のハンディ、さらには「コミュニケーション」や「発達」といったものを、個人の能力や特性に還元してしまわないで、それらを人の関係の中に置く、というパラダイム変換が起きる。その面白さ、手ごたえがあるだろう。

どうだろうか、これがこれからを生きて行く臨床心理士の道として。この度、われわれの事務所も、これまでにない全く新しい形のスペースを借り方・使い方に移行することになる。ニュースレターも、こうして電子媒体での配信に変わり、ホームページの閲覧方法も、更新が計画されている。このままでは、臨床心理士も古色蒼然、背中に苔が生えてくるやもしれません。この際、資格要件だけでなく、自分が使えるメニューも更新する時では。

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