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会長メッセージ
「出版臨床心理学と技術伝達主義」 (後編)
会 長 羽 下 大 信
先述、院生の言った「本に書いてあるとおりにやる」とは、「本に書いてあることを元にして想像し、思ったとおりにやる」という意味だろう。心理療法の経験はほとんどゼロなのだから、それが唯一自分に可能な方法なのだろう。ただ、僕はこうした彼のやり方がダメだとは思わない。そもそも、最初には何もないのだし、始めてみようとする意欲は、なにより大事だからである。そして、間違っていると気づいたら、その都度、修正するのでよい。通常、心理療法家はケースの中で、そうしているのだから。
ただ、残念ながらそこにないものは、自分が(本の内容をヒントにして)自ら考えたことをやっているという意識と、もうひとつは、自分のつもりはそのまま相手に伝わることはない、向こうから見ると事態は大分違うだろう、という感覚である。もっとも、この2番目のことは、誰にとっても、いつでも難しいテーマではあるが。
ただ、別の難しさもある。では文字・文として書かれたものと、読み手がそれを「わかる」こと関係は、どう考えればいいか、という問題である。「読んだらわかる」と考えるのは、やはり迂闊と言わねばならなだろうから。精密に読むこと。文の向こうにあるものを読むこと。引き込まれる面白み。誤読。一気呵成に読み下すこと。目に入ったところを読むこと。自由に想像をふくらませること。文を読むとき、このどれもが生起し、そしてどれも必要なものだろう。全ては誤読から始まる、という人さえある。
技術は伝達可能か
心理療法のことを考えるとき、こうしたテーマ以外に、もうひとつ考えておくべきことがある。心理療法の訓練では、それを実行している人について学ぶ、あるいは、心理療法のことがわかっていそうな人から学ぶ、のどちらか、あるいは両方が必要である。これは仕事一般にも当てはまる、手間のかかる、古典的な習得法である。例を挙げよう。僕が所属していた職場に一人の若いソシアルワーカーが加わった。幾分の経験を持っていたが、働き始めると、リーダーから事あるごとにダメ出しを出し、その度にバトルになった。リーダーの、時に鋭すぎるほどの指摘は、大抵の場合彼を追いつめた。両者の間を取ろうとするわれわれの介入も、リーダーは受け入れない。そのワーカーは1年でやめ、その2年ほどのち、再開すると見違えるようになっていた。何が起きたのか尋ねると、よい先輩に出会い、一緒に仕事をするうちに、どうすればいいのかがやつとわかった、と言った。
対人援助の場は両者の関係のプロセスであり、それはどんどん変わって流れて行く。そこで何が起きていて、どんなことを想像し、そしてかかわるか。こうした流れを、技術として切り取って教える。そのことは、自分が実行することとはまた別のことになる。説明可能なところと、(勝手に)見て覚えて貰うしかないところがあるようだ。また、教える側にも、説明の上手な人もいれば、「見てたらわかる」とだけ言う人もいる。
文と技術と教え/教えられることとの、この三者の厄介な関係。それを乗り切るときの経験的な手がかりは、「あなたがいいなと思う人、このひとはわかっているなと感じる人、この人の説明はスーッとはいるな」という人を探すことだろう。その場合、見つかったその人は、著名人とは限らないが。
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